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山形地方裁判所 昭和37年(行)3号 判決

原告 安藤文治郎 外三七名

被告 高畠町教育委員会

主文

原告等の本件各訴をいずれも却下する。

訴訟費用は原告等の連帯負担とする。

事実

第一、当事者の申立

(原告等)

一、被告教育委員会が、山形県東置賜郡高畠町大字二井宿上駄子町以西を除く右二井宿地区の、昭和三七年度全学令生徒のそれぞれの保護者(別紙第一原告目録記載の原告等および別紙第二原告以外の保護者目録記載の保護者等)に対し、昭和三七年一月三〇日付をもつてなした、各保護者の保護する学令生徒を昭和三七年四月六日午前一〇時右高畠町大字安久津七〇〇番地高畠町立第一中学校に入学通学させよ、止むを得ない事情により二井宿校舎に通学を希望される場合はその旨二月末日限り学校長に届出よ、という旨の処分は無効であることを確認する。

二、若し無効でないとすれば右処分はこれを取消す。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

(被告)

本案前の申立として、

一、原告等の本件訴を却下する。

二、訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求め、

本案に対する申立として

一、原告等の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告等の負担とする。

との判決を求める。

第二、原告等の請求原因

一、被告は山形県高畠町の教育委員会であり、原告等および別紙原告以外の保護者目録記載の保護者等(以下単に原告以外の保護者等と略称する。)は高畠町大字二井宿上駄子町以西を除く高畠町大字二井宿居住の、昭和三七年度において学校教育法第三九条の定めるところによつて学令生徒に達する子女等の保護者である。その学令生徒との関係はそれぞれ父または母である(ただし、原告安藤はるゑは学令生徒藤田二男と同居の事実上の保護者である。)。

二、被告は原告等および原告以外の保護者等に対し、昭和三七年一月三〇日付の別紙第三の一、二記載例のような書面をもつて、学校教育法施行令第五条第一項ならびに第二項の規定による就、通学に関する処分(以下単にこれを本件就、通学処分と略称する。)をなした。右処分の要点は学令生徒を昭和三七年四月六日午前一〇時に高畠町立第一中学校に入学させること(同令第五条第一項―入学期日の通知)および就、通学の中学校は高畠町大字安久津七〇〇番地所在の高畠町立第一中学校校舎(以下単に本校舎と略称する。)と指定すること(同令第五条第二項―学校の指定)の二点である。尤も、就学通知書それ自体には通学という文言を使用していないが、通学を含めての通知であることは明らかである。

三、しかしながら、右の就、通学に関する処分は以下に述べるような理由によつて無効であるかあるいは少なくとも取消されるべきである。

(一)  高畠、二井宿両中学校(ただし、それぞれ統合前の旧高畠中学校、旧二井宿中学校を指す。以下同じ。)の統合処分は旧高畠町と旧二井宿村の町村合併条件に違反してなされたので、明らかに無効であるかあるいは取消されるべきものである。従つて、右の瑕疵ある統合処分に基づいてなされた本件就、通学処分は取消されるべきものである。

すなわち、山形県東置賜郡高畠町は、昭和二九年一〇月一日同郡の旧高畠町、旧二井宿村、旧屋代村、旧亀岡村、旧和田村の合併により新設された社郷町に、同三〇年二月一日同郡の旧糠野目村が編入合併されたうえ新設された地方公共団体である。ところで、右町村合併の際関係各町村は昭和二九年八月二六日各議会において合併の決議をなし、関係各町村の間で協議により新町建設計画が定められ、合併協議書が作成されたが、右建設計画および合併協議書にはそれぞれ「小中学校は現在のまま独立校とする」との一条項が定められた。しかるに、新設された高畠町は右条項を無視して合併前の旧六ケ町村の各区域に所在している中学校六校の統合を計画し、被告は昭和三〇年一〇月一〇日右中学校六校の学区を変更する旨の決議をなして翌三一年一月一〇日その決議の趣旨を高畠町長に通知し、次いで同年三月一七日従前の中学校六学区を変更して高畠・二井宿地区、屋代・糠野目地区、和田・亀岡地区の三学区に統合する旨の決議をなし、高畠町議会は同年八月二七日被告のなした右学区変更決議を承認した。そこで、被告は昭和三三年五月二〇日高畠中学校と二井宿中学校を同年八月三一日限り廃止し、新たにその生徒をもつて同年九月一日付で高畠第一中学校を存置する旨の中学校新設統合処分(以下単に本件中学校統合処分と略称する。)をなした。

しかして、前示合併協議書に記載された内容は町村合併促進法第六条による新町建設計画の策定であつて、旧高畠町、旧二井宿村その他の合併関係各町村はこの計画の下に合併し、この計画を遵守すべき義務を負つていたのであるが、合併後は新設された高畠町および被告がこの計画を遵守すべき義務を承継した。これを「小中学校は現在のまゝ独立校とする。」との条項についていうならば、旧高畠町、旧二井宿村その他の合併関係各町村および各町村の教育委員会は相互に右条項を遵守すべき義務を負つていたのであり、この義務は右旧町村の合併により高畠町および被告に承継されたのである。すなわち、新町建設計画において右条項が定められた理由は、合併関係各町村、殊に旧二井宿村に従前から設置されている小中学校を町村合併後も引続き独立校として存置させなければ、換言すれば、従前の小中学校が町村合併後高畠町における単一の小中学校に統合されるとするならば、合併関係各町村の区域の地勢的、気候的状況、施設、環境等に照らし、通学距離の延長により時には通学不能となることがあり、環境の都会化に伴い出費が増加し、その他合併関係各町村の住民が必然的に蒙る教育上の大きな不利益、負担が予想されたので、これを防止することにあつたのである。従つて、右条項は、その遵守履行が町村合併の重要な要件となつたものであり、合併後は高畠町および被告が遵守すべき根本的規定として存在し、前示自然的、社会的環境につき特段の変動がない限り、被告または高畠町議会の議決その他の手続によつてはこれを改廃できないものである。そして、右条項により旧高畠町、旧二井宿村その他の関係各町村は相互に「小中学校は現在のまゝ独立校とする」との権利を有し義務を負つていたところ、合併による関係各町村の消滅により右義務は関係各町村の実体である住民に対して負担すべきものとして高畠町および被告に承継されたものというべきである。あるいは、右義務は前示合併協議書の成立により合併関係各町村および各教育委員会が各住民に対してこれを負担し、関係各町村の合併による消滅により高畠町および被告がこれを承継したとも解釈される。

ところで、右条項は、(一)高畠町および被告を「小中学校は現在のまゝ独立校とする」という法律状態に置き、(二)高畠町および被告に対し、この法律状態を持続すべき義務を負担させる、という二つの内容をもつのであり、高畠町の新設と同時に前者の義務は履行を終つて後者の義務が存続し、高畠町および被告は合併関係各町村の実体すなわち住民の承諾なしにはこれを変更し得ないという義務を持続負担しているという法律関係を発生させている。従つて、被告のなした本件中学校統合処分は、右条項が高畠町の遵守すべき根本原則であることを無視し、これに違反してなされたものであり、高畠町および被告と旧二井宿村の住民との間の前示のような法律関係を一方的に専断的に破棄し、旧二井宿村住民に大きな負担を課そうとするものであるから、違法であつて当然無効である。

仮りに無効でないとしても、本件中学校統合処分は新市町村建設促進法第五条、第八条の条件に合致せず、著しく不当であつて取消されるべきである。

そうだとすれば、右のような瑕疵ある統合処分を前提としてなされた本件就、通学処分は、その根拠を欠くことになり、違法なものとして取消されるべきである。

(二)  本件就、通学処分は、仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第三二二号中学校統合処分無効確認等請求控訴事件において昭和三六年三月八日なされた裁判上の和解によつて承認されたところの、昭和三四年一二月六日高畠町町長、同町議会、被告、高畠二井宿中学校統合反対期成同盟(代表者会長佐藤庄三郎、以下単に反対期成同盟と略称する。)の四者間で成立した通学区域に関する協定条項に違反してなされたものであるから、取消されるべきである。

すなわち、二井宿地区(ただし、旧二井宿村の区域を指す。以下同じ。)にあつては昭和三〇年一二月頃から地区民多数が相謀り、中学校の統合につき反対運動をする目的で反対期成同盟(権利能力なき社団)を結成し、その活動を続けてきたが、原告等はいずれもその構成員である。しかして、昭和三三年六月二三日反対期成同盟の構成員のうち二井宿地区民三三六名が訴外高橋伝右衛門ほか二五名を選定当事者となし、高畠町長および高畠町を相手方として山形地方裁判所に対し中学校統合処分無効確認等請求事件(同庁昭和三三年(行)第八号)を提起した。反対期成同盟は右事件の係属中も裁判所外で統合反対運動を続けたが、その結果、昭和三四年一二月六日、高畠町町長、同町議会、被告、反対期成同盟の四者の間で、山形県議会文教常任委員会委員長訴外井上秀雄、同委員会委員訴外柿崎美夫(なお、以上二名を以下単に調停委員という。)、同県教育長訴外梅津竜夫以上三名の立会の下に、中学校の統合等に関し次のような協定が成立した。

1 反対期成同盟は高畠第一中学校の統合を認める。

2 高畠町関係当局は高畠第一中学校二井宿校舎(ただし、旧二井宿村立二井宿中学校の校舎を指す。以下単に二井宿校舎と略称する。)の存置を認める。

3 高畠第一中学校本校舎に通学する地域は、さしあたり、上駄子町以西とし、その間右以外の二井宿地域の者に対し、希望によつて本校舎に任意通学させること等はなさしめないこと。

そして、同日右当事者四者の間で、右協定条項第3項中の「さしあたり」という文言の趣旨につき、覚え書をもつて、「さしあたりとは、高畠町、反対期成同盟および調停委員において平和裡に解決する時期までをいう。前記期間中は双方共誠意をもつて協定に違反するような行為は絶対にとらないこと」と確約した。前示訴訟事件は控訴審に持ち込まれ、仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第三二二号事件として同裁判所に係属したが、その審理手続中の昭和三六年三月八日に当事者間で裁判上の和解が成立し、その和解により右協定第1項ないし第3項の趣旨が承認された。その後調停委員の斡旋により高畠町当局と反対期成同盟との間で何度も協議がなされたが、今日に至るまで右協定以外に何ら平和裡に解決された問題はない。従つて、右協定条項第3項を変更するにたりる特段の事情は存しない。しかるに、被告は前示のように原告等および原告以外の保護者等に対し本件就、通学処分をなしたのであるが、右処分のうち学校の指定については本校舎の番地の記載があることおよび右処分に際し「(前略)右の者別紙高畠町立第一中学校に入学するよう通知いたしましたが、止むを得ざる事情により二井宿校舎に通学を希望せらるゝ場合はその旨二月末日限り左の書類に必要事項記入の上学校長に提出して下さい。(後略)」という文言を使用していることよりすれば、右処分は二井宿校舎を含まず、本校舎への就学、通学を命じていることが明らかである。また、右にいう「止むを得ざる事情」の存否は被告の判断によるものと解される文言であるが、これに対して被告またはその委任を受けた機関がどのような判断を示すかは別としても、仮りに二井宿校舎に通学を希望しない者がいた場合には勿論、そもそもこのような就、通学処分それ自体が本校舎に対する任意通学を認めるものである。そうだとすると、本件就、通学処分は右協定、特にその第2、3項に違反するので無効である。

また、二井宿地区に二井宿校舎が存置されている場合、その通学区域は画一的に定められるべきであつて、本来任意通学を認めることは経済、学級編成その他の教育効果等全般の上で重大な影響をおよぼすものである。原告等を含む二井宿地区住民の大多数で組織された反対期成同盟と被告との間に結ばれた前示協定は、事柄の性質上二井宿地区の全住民、全保護者にその効力をおよぼすものであつて、たとい右協定の締結に際し原告以外の保護者等が参加していなかつたとしても、前示任意通学を認めない趣旨の協定(右協定条項第3項)は被告と原告等との関係では勿論、被告と全保護者との関係でも被告を拘束するというべきである。よつて、原告以外の保護者等との間においても本件就、通学処分は無効である。

仮りに無効でないとしても、本件就、通学処分は著しく不当であつて正義に反するので、取消されるべきである。

(三)  本件就、通学処分は、実質的に、学令生徒に対し通学労力、能力上甚しい苦痛を加えるものであり、更に、後記のような天候、地形の状況と通学距離の延長に伴う父兄の経済的、時間的、労力的負担の甚しい増加等の点を考慮すると、保護者においてその子女に憲法および学校教育法に基づく義務教育を受けさせるうえで著しく妥当性を欠く処分であるので違法というべきであり、従つて、取消されるべきである。

すなわち、高畠町は山形県の東端に位置し、宮城県境に接して奥羽山脈の山系中にある。特に二井宿地区はその最東端に位置して地勢が最も恵まれず、通学に不便な所である。二井宿校舎(標高約三〇〇メートル)までの通学距離は最長七・三キロもあり、二井宿地区における各部落の位置と本校舎からの通学距離その他地形等は別紙第四、二井宿地区およびその周辺の見取図に表示されたとおりである。旧高畠町から宮城県刈田郡七ケ宿村に通ずる東西に延びた県道は県境まで約八キロにおよび、この県道筋に西から東へ上駄子町、弁天前、下宿、上宿の四部落が点在する。上宿部落より東方は急坂となり、県境まで至る間に地獄谷、二井宿峠等があり、その平坦部分においても道巾が狭く、補修が不備なので交通機関の往来も容易でない。上宿部落所在の二井宿郵便局前から北方へ向け町道があり、この町道筋に南から北へ田沢、筋、中、入の四部落が点在し、入部落の字山崎で町道は二本に岐れ、分岐点から北東約四キロの地点に二重坂部落があり、分岐点から北西約三キロの地点に青井流部落がある。上宿部落から入部落まで至る間に坂道が六ケ所あり、土橋が五ケ所架つていて自動車の交通も容易でない。二重坂部落と青井流部落から二井宿校舎へ通学するのに夏期徒歩で二時間半を要する。また、この地方は奥羽山脈を東側に擁し、冬期日本海からの季節風の影響を受けるので、わが国で最も積雪の多い地方の一つであり、冬期には零下一五度になることも稀ではなく、最近五ケ年の統計によると例年一一月下旬あるいは一二月上旬から雪が降り始め、積雪期間はこの頃から翌年四月上旬まで続き、積雪量は平坦地で四尺ないし五尺になる。しかも前示町道筋は殊に積雪が多く、部落の人々が雪踏みをして人の通行を助けているが、車馬が通行できなくなることも稀ではない。雪踏みされた道であつても冬期の歩行は夏期に比べ夏期の一・五倍以上の時間と二倍ないし三倍の労力を必要とする。

ところで、本校舎は駄子町西方の県道沿いに位置し、二井宿校舎の西方四キロの地点から更に南方へ四〇〇メートル進んだ所にある。国鉄奥羽本線糠野目駅から二井宿に至るまで電車が通つているが、終点の二井宿駅は二井宿校舎から西方約七〇〇メートルの地点にあり、二井宿地区から本校舎へ通学するには二井宿駅から西方へ向け三つ目の停留所の八幡宮前駅で下車してそこから、南方へ向け約一キロ歩かなければならない。しかして、二井宿地区の各部落から二井宿校舎および本校舎までの通学距離と通学に要する夏期、冬期の時間は第一表のとおりであり、二井宿地区の各部落の住民と児童生徒数は第二表のとおりである。

第一表通学距離と通学時間

部落名

二井宿校舎通学距離

同上通学時間

本校舎通学距離

同上通学時間

上駄子町

一、六二〇米

夏  三〇分

冬  七五

二、五〇〇米

夏  三八分

冬  九〇

弁天前

六二〇

夏  一五

冬  四五

三、四三〇

夏  五〇

冬 一二〇

下宿

四〇〇

夏  二〇

冬  五〇

三、八〇〇

夏  五五

冬 一四〇

上宿

四〇〇

夏  一〇

冬  二五

四、〇〇〇

夏  六〇

冬 一五〇

田沢

四〇〇

夏  一〇

冬  二五

四、三〇〇

夏  六五

冬 一六〇

一、〇〇〇

夏  二五

冬  六三

六、〇〇〇

夏  八〇

冬 一九〇

一、八〇〇

夏  四〇

冬 一〇〇

六、三〇〇

夏  九〇

冬 二二〇

三、一〇〇

夏  八〇

冬 二〇〇

七、三八二

夏 一二〇

冬 三〇〇

二重坂

六、〇五〇

夏 一五〇

冬 四五〇

一〇、三八二

夏 一八〇

冬 四五〇

青井流

七、三〇〇

夏 一五〇

冬 五〇〇

一一、六三二

夏 二〇〇

冬 五〇〇

備考

冬とあるは冬期間の晴天、夏とあるは夏期の通学時間を示す。入、二重坂、青井流部落は冬期間特に積雪多量のため徒歩困難を極める。

第二表 各部落の住民と児童生徒の分布状態(三三、九、一現在)

部落名

戸数

人口

職業

児童生徒数

生産世帯

消費世帯

小学校

中学校

上駄子町

四二戸

二五七人

二九戸

一三戸

三一人

一三人

弁天前

三七

二二八

一三

二四

四五

一五

下宿

五九

三一一

一九

四〇

五二

二五

上宿

八〇

四二四

一九

六一

五四

二六

田沢

五六

三三四

二五

三一

四九

二六

五七

三四八

三二

二五

六五

二五

七四

四二八

四八

二六

六七

三八

四五

三〇八

四四

五〇

二八

二重坂

一一

五五

一一

青井流

三一

四六七

二、七二四

二二七

二三八

四二一

一九八

備考

二重坂部落は現在鉱山の試掘段階にあり、将来人口、生徒数の増加が予想される。

そこで、本件中学校統合処分、すなわち、本校舎への通学によつて生ずる教育効果の低下および保護者の経済的負担の増大等は次のようになる。すなわち、(1)右第一、二表によつて明らかなように、通学距離につき殆ど大部分の生徒が四、三〇〇メートルほど多くなり、電車を利用しても歩行距離が一、七〇〇メートル多くなるほか電車を待つている時間および電車に乗つている時間が多くなる。更に、冬期は電車が運行を遅延したり若しくは休止したりすることも少なくない。従つて、生徒の精神的肉体的負担および通学時間の増加は著しく、これによる教育効果の低下は明瞭である。因に、文部省が指導している学校統合に際しての通学距離に関する基準を見ると、通学距離の限度を定めるにあたつては、(イ)通学を原因とする生徒の疲労が学習に悪影響をおよぼさない程度のものでなければならないし、(ロ)通学に要する時間が生徒の生活時間構成の均衡を失わせない程度のもの(自習時間および自由時間を不当に圧縮するものであつてはならない。)でなければならない、としており、種々の統計調査の結果、平坦地を徒歩で通学する場合は六キロメートルを限度とするし、その他地勢気象等の諸条件を考慮して実情に即するよう定められるべきことを指示している。二井宿地区は山間僻地で急坂な道が多いばかりでなく、冬期には積雪のため生徒の労力負担が著しく増加することを考えると、通学距離が四キロメートルを超えることは文部省指導の限度をはるかに超えることになり、教育上重大な支障を来すものといわなければならない。また、通学距離が長くなることによつて学校と家庭との連絡が円滑でなくなり、更に、教師と生徒との個人指導が低下する。(2)二井宿中学校と高畠中学校の生徒数および学級数は第三表のとおりであるが、

第三表 二井宿、高畠各中学校の生徒数と学級数

学校名

昭和三三年

昭和三四年

昭和三五年

昭和三六年

昭和三七年

生徒

学級

生徒

学級

生徒

学級

生徒

学級

生徒

学級

二井宿

一九六人

一八二人

一七五人

二一〇人

二一二人

高畠

六八八

一五

六四九

一四

六九二

一五

八〇五

一七

八四七

一八

高畠中学校は一六学級が普通である(最近三年間は一五学級であるが、これは戦争直後の出生という特殊な事情によるのであつて間もなく一六学級になることは確実である。)ところ、これに二井宿中学校の六学級(最近三年間は五学級であるが、これは前同様の理由による。)を加えると二二学級となる。しかして、文部省の指導によれば、統合の際の学校の適正規模は概ね一二ないし一三学級を理想とし、六学級程度でも教育効果があがつておればそれでよく、一八学級を最高限度とし、それ以上になる場合は学力の低下を免れないし、学校経費の上からみてもさほど合理化されるとは考えられない、といつている。この点からみても統合による教育効果の低下は免れない。(3)生徒が若し通学のために電車を利用するものと仮定すれば、学割で一ケ月当り三〇〇円の電車賃を必要とする。仮りに全生徒が電車を利用するものとすれば、その総費用は年間約八〇〇、〇〇〇円に達する。これに対して高畠町から年間一二〇、〇〇〇円の補助があつたとしても、それは一割五分程度にすぎず、生徒の負担は一ケ月当り二五五円となる。自転車または徒歩による通学の場合でも右に劣らない支出が必要となる。しかるに、二井宿地区の住民は殆んどが山間僻地の貧農であり、一ケ月当り一五〇円ないし一七〇円の給食費も納入に困難を極めており、集金の係員が何度も足を運んだ末に、時にはイモ、豆等の現物を給食費の代りに受領することも少なくない状態である。これに更に通学費の負担が加わることになれば、経済負担の加重によつて通学に支障を来すことになり、教育上由々しき問題となる。更に、統合中学が建設されると二井宿地区の分担金として三、〇〇〇、〇〇〇円を即時に支払わなければならないが、その支払の方法は見当らない。(4)また、二井宿地区のように貧しい山村においては中学校生徒の労働力が農家にとつて重要不可欠であるので、生徒等をして朝夕の家畜飼育その他の家事を手伝わせる時間がなくなることは、農家経営上重大な打撃を受けることになり、その他家族、生徒の健康上にも非常に無理が生ずることになる。

ところで、高畠町および被告が右のような住民の不利益を犠牲にしてまで何故に中学校の統合を強行しようとするのかを解明するには高畠町財政の不健全さと高畠中学校校舎の問題を検討する必要がある。すなわち、昭和三一年一二月末当時町債は六八、〇六五、〇〇〇円にすぎなかつたのであるが、昭和三二年一二月末には町債が一三三、〇〇三、〇〇〇円となり、昭和三三年度の予算においては町債が一三四、五七六、〇〇〇円となつている、これは一戸当り二四、七〇〇円の負担となる。また、高畠中学校は常時一六学級(現一五学級、ただし、その主張からは何時の時点を指すのか必ずしも明らかでない。)であるのに、教室は一四室しかない。校舎は老朽による再建等のための国庫補助金を受け得る程度まで老朽化してはいない。昭和二七年に教室の増設費として国庫より二五四坪分の補助金の交付を受けたのであるが、現実には申請どおりの増設がなされなかつた。高畠中学校はその生徒数から計算して八〇一坪の校舎を必要とするのであるが、既に二五四坪分の補助金を受領しているので今直ちに校舎増改築のため補助金を得る途はない。将来老朽化するとしても右二五四坪分の補助金を除いたその余の坪数に対する補助金しか受けることができない。従つて、高畠中学校単独で校舎を維持することは困難な状態に陥入つた。そこで、新たに統合中学校を建設することになれば、新規に五割の補助を受けることができるので、町政の失態を固塗するために中学校統合の問題を持ち出してきたものと考えられ、ここに高畠町および被告の統合策強行の意図があるものと考えられる。しかしながら、本来学校の統合は、(イ)あくまで教育効果の向上と学校経営の合理化を図る見地から行われるべきであつて、財政上の理由を主とした統合であつてはならず、小規模な学校でも教育効果が十分あがつている場合、通学条件その他を考慮すると必ずしも統合が必要でないことがあり、(ロ)町村合併に伴う政治的な処理により、あるいは一部の地域住民の利害や力関係によつて、目先の問題解決のため適正を欠く統合を実施すべきではないし、(ハ)統合の実施と運営を円滑に行うためには地域住民の理解と協力を得たうえで行うべきであつて、利害感情が対立している場合、これを無視して統合を実施することは新市町村建設の将来に多大な支障を来たすことが明らかであり、(ニ)統合によつて紛争の生ずることのないよう慎重に実施するのが当然であつて、学校の配置、通学距離、通学区域等を考慮して無理のない統合がなされなくてはならない。しかるに、高畠中学校と二井宿中学校の統合は右のいずれの点からみても統合本来の趣旨に添わないばかりでなく、前示のように統合によつて教育上、農業経営上重大な損害が招来されるのである。

従つて、本件中学校統合処分に基づく本件就、通学処分は原告等保護者がその子女に義務教育を受けさせるうえで著しく妥当性を欠く処分であるので、違法なものとして取消されるべきである。

よつて、本訴請求におよぶ次第である。

第三、被告の本案前の主張

原告等は、原告等が保護者となつている学令生徒を本校舎に就、通学させることは家庭経済、学級編成、教育効果等全般の上から重大な影響を受けるので本件就、通学処分の無効確認または取消を求めるというのであるが、仮りに右本校舎への就、通学が保護者である原告等またはその家庭生活等に対し、ある種の不便ないし不利益を与えるとしても、それらの不便ないし不利益は単なる事実上の不利益に過ぎないのであつて、権利または法律上の利益を害するものとは謂い得ないのである。

従つて、本件就、通学処分の取消を求める原告等の本件訴は不適法として却下されるべきである。

第四、原告等の請求原因に対する被告の答弁および主張

一、原告等主張の請求原因第一項の事実は認める。

二、同第二項の事実中被告が原告等主張の本件就、通学処分をなしたことは認める。

三、同第三項の(一)の事実中、高畠町が原告等主張の町村合併によつて新設された地方公共団体であることおよび被告が原告等主張の頃本件中学校統合処分をなしたことは認めるが、原告等主張の新町建設計画の小中学校に関する条項の文言、高畠町および被告が右条項を無視したことおよび本件中学校統合処分が新市町村建設促進法第五条、第八条の条件に合致せず著しく不当であることは否認する。

本件の町村合併に際しては当然に合併関係各町村の要望する諸条件を盛込んだ新町建設計画が策定され、関係各町村の議会の議決を経て、昭和二九年一〇月一日合併が行われたのであるが、合併に関する右建設計画書の項目四の6には中学校の学区につき「当分は現在のまゝとする」と定められた。しかして、その後中学校の問題に関し、文部省の示す適正規模による教育水準の向上と学校経営の合理化を図ることは勿論、新生高畠町の一体性の確保に資するという建前から、昭和三二年二月一二日高畠町は山形県知事に対し町村合併促進法第八条第二項に基づき中学校の学区変更事項をも含めて新町建設計画の一部変更について協議を求めたところ、同月二二日付地方第一六〇号をもつて山形県知事から右につき異議がない旨の許可があつた。そこで、同月二五日高畠町議会は「高畠町建設計画の一部変更について」として提案された第二号議案につき、建設計画書の項目四の6に中学校の学区を「当分は現在のまゝとする」とあるのを、「教育の合理化と将来経費の節減を図るため近い将来において統廃合を行うものとする」と変更する旨議決をなした。本件中学校統合処分は右の議決に基づいて行われたものである。

従つて、右中学校統合処分は何ら違法でなく、右適法な統合処分に基づいてなされた本件就、通学処分は当然に適法であつて右処分には何ら瑕疵がない。

四、請求原因第三項の(二)の事実中、原告等主張の反対期成同盟が結成されたこと、山形地方裁判所に同庁昭和三三年(行)第八号中学校統合処分無効確認等の訴が提起されたこと、原告等主張の頃原告等主張の協定が成立したことおよび右協定条項が仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第三二二号事件の和解において承認されたことは認めるが、右反対期成同盟の内容、組織等は知らないし、本件就、通学処分が原告等主張の協定条項に違反することは否認する。

原告等主張の山形地方裁判所昭和三三年(行)第八号事件は昭和三五年六月二七日訴が不適法であるとして却下され、同事件の控訴審における和解の条項は「当事者双方は昭和三四年一二月六日高畠町と高畠二井宿中学校統合反対期成同盟との間に成立した協定書の趣旨を承認すること」というだけのもので、裁判上の和解条項としてはまことに不明確なものであり、且つ、被告は右和解における当事者になつていない。

ところで、昭和三四年一二月六日付協定書によれば、中学校の統合に関する条項として、

1  原則として高畠第一中学校の統合を認める(一項)。

2  二井宿校舎の存置を認め、通学区域はさしあたり上駄子町以西とし、任意通学等はさせない(二、三項)。

3  (統合に関して発生した)刑事事件の費用は町当局で負担する(四項)。

4  当時係属中の行政訴訟(山形地方裁判所昭和三三年(行)第八号)は円満解決後取下げる(五項)。

5  反対期成同盟の支出した諸経費は調停委員の示した額を高畠町が支払う(四項)。

等の条項が協定され、右「さしあたり」の趣旨につき同日更に右協定書の付属書類である覚え書において、「さしあたりとは、高畠町、反対期成同盟、調停委員において平和裡に解決する時期までをいう」と定義している。そこで、問題は本件就、通学処分が、(一)右協定条項に違反しているかどうか、(二)仮りに一部あるいはある程度違反した疑があるとしても、これをもつて法律上行政処分を取消すべき瑕疵と見られるかどうか、である。しかして、第一に、右にいう「さしあたり」の時期が経過したかどうかの点であるが、元来さしあたりとは、当分の間、暫定的にという意味であることはなにびとも異論がないものと考えられるところ、当時当事者等はこの趣旨を更に明確にするために右覚え書をもつて「平和裡に解決するまで」の趣旨であることを明記したのである。そうだとすると、「平和裡に解決した」と一応見られる状態に到達したかどうかが問題となるが、本件においては客観的に見て―右協定条項に照し―当然平和裡に解決したものと解すべきである。すなわち、その根拠となる事実は次のとおりである。(1)刑事事件に関して反対期成同盟が要した弁護士費用等は高畠町において負担支出した(協定書四項)。(2)反対期成同盟が紛争に伴つて負担した諸経費に充当するものとして高畠町は反対期成同盟に対し、昭和三五年四月七日五〇〇、〇〇〇円、昭和三六年一月二四日五〇〇、〇〇〇円を支払つた(同五項)。(3)係属中の行政訴訟(仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第三二二号事件)は昭和三六年三月八日裁判上の和解が成立したので取下げられた。協定書六項には「提訴中の行政訴訟は円満解決後取下げるものとする」とあり、原告等は円満解決したからこそ行政訴訟を取下げたのである。(4)協定書七項にある継続審議事項の、二井宿財産区の管理または育英財団設立のための山林三〇町歩に関する事項等は現在未解決であるとしても、右七項の事項は前示覚え書但書に「但協定書第七番目の項目についてはこの覚え書の範囲外とする」と明記してあり、統合問題の範囲外であるから、この項をもつて「平和裡に解決したことにはならない」と主張するのは当らない。以上を要するに、さしあたり(すなわち暫定的)という時期はすでに経過したものであり、本件就、通学処分は何ら協定違反にならないので、これを取消すべき理由は存しない。

また、仮りに反対期成同盟と高畠町との間における前示協定が現在においてなお何らかの拘束力を有するものとしても、右協定が当初から反対期成同盟に加入していなかつた保護者および一旦加入してもその後反対の意思を放棄して現在本校舎に就、通学を希望している保護者までをも拘束する効力を有するものと見るのは相当でない。なぜならば、右のような見解は憲法第二六条の明文に反するからである。現に二井宿地区の中学校学令生徒二〇〇名のうち半数以上の者(昭和三七年三月二九日当時において一〇四名)が本校舎に通学することを希望し、喜んで通学している現実から見ても原告等の本訴請求は明かに失当である。

五、請求原因第三項の(三)の事実中本件就、通学処分が原告等保護者においてその子女に義務教育を受けさせるうえで著しく妥当性を欠く処分であることは否認する。

すなわち、(1)文部省の示す指導要領においては中学校生徒の通学距離の限度が六キロメートルまでとなつているが、本校舎まで四キロメートルの上宿部落内に反対者が多く、これより遠い六キロメートルの畑中、中、入の各部落には本校舎通学希望者が多い実情にある。(2)昭和三〇年一〇月被告から中学校長に答申をもとめたところ、学区については第一学区として二井宿、高畠地区(ただし、高畠地区とは旧高畠町の区域を指す。以下同じ。)を統合すべきものと答申した。(3)二井宿地区における昭和三七年度の中学就学予定者は一年生六二名、二年生六七名、三年生七一名、計二〇〇名であつたが、同三八年度以降は若干の自然減と任意通学の是認により漸次減少して、同四三年度においては一年生四四名、二年生五〇名、三年生五六名、計一五〇名となる見込であり、僅か三学級に減少するので、中学校としての運営が極めて困難になることは確定的である。因に同三九年度における二井宿地区の中学生の通学状況を見てみると、本校舎に通学する者は一年生三二名、二年生四〇名、三年生二七名、計九九名で、二井宿校舎に通学する者は一年生二四名、二年生三八名、三年生三九名、計一〇一名である。(4)遠距離通学者に対する高畠町の対策として、町当局は通学距離四キロメートル以上の生徒に対して自転車を貸与し、全生徒に対して二井宿駅から八幡宮前駅までの電鉄無料乗車証を交付し、通学生徒の体力の消耗を避けさせ、かつ、父兄の経済的負担の軽減を図つている。以上の事実から見ても、義務教育を受けさせるのに妥当を欠く、との原告等の主張は理由がない。

現に二井宿地区からは一〇〇名以上の生徒が喜んで本校舎に通学している。本校舎と二井宿校舎の建物および諸設備を対比すると本校舎の方が格段に優つており、おそらく二井宿地区の全生徒が本校舎において勉学することを望んでいるに違いない。一部父兄の頑迷な片意地により意に反して二井宿校舎に通学している生徒は気の毒に思われる。新しい校舎で充実した設備により楽しく教育を受けてこそ生徒の幸福がもたらされる。なお、本件就、通学処分の通知書には「止むを得ない事情によつて二井宿校舎に通学することを希望する者はこれを認める」旨付記されていることを留意すべきである。

第五、被告の主張に対する原告の答弁

一、被告の主張第四項の事実中、仙台高等裁判所昭和三五年(ネ)第三二二号事件の和解において被告が当事者になつていなかつたことは認めるが、右和解の基礎となつた昭和三四年一二月六日成立の協定には被告も当事者となつている。

二、同項の事実中、反対期成同盟が刑事事件に関する弁護士費用の一部に相当する金員を受取つたこと、高畠町が反対期成同盟に対し諸経費として一、〇〇〇、〇〇〇円を支払つたこと、被告主張の裁判上の和解が成立して原告等が行政訴訟を取下げたこと、はいずれも認めるが、反対期成同盟が刑事事件に関する弁護士費用の全部を受取つたこと、協定条項にいう「さしあたり」の時期が経過したこと、はいずれも否認する。

右和解は結局協定条項を確認したにすぎないのであるから、行政訴訟の終了によつて通学区域の問題を含む中学校統合問題は何一つ解決されなかつたのであり、これらの重要問題は高畠町当局関係者、反対期成同盟、調停委員(前示井上、柿崎の両名)の間における平和裡の円満解決まで持越されたのである。町当局から反対期成同盟に支払われた金員は、右の根幹的重要問題の円満解決の成立と無関係に支払われるべきことが約束されていたいわば派生的、付随的事項であつて、協定条項の一部が履行されたことをとらえて、これと全く無関係な根幹事項の円満解決ができたという被告の論理は詭弁も甚しい。協定成立当時行政訴訟の取下げを右のような形でなすことを予想していたかどうかは別として、反対期成同盟側が、金さえ手に入れば通学区域を含めての中学校統合問題はどうなつてもよい。と考えていたものでないことは明らかであり、原告等はその後も継続して高畠町との話合いの機会を持つてきていたのに拘らず、突如として被告が一方的に協定条項を踏みにじる挙に出たのである。

三、被告の主張第五項の事実中昭和三九年度における二井宿地区の中学生の本校舎と二井宿校舎に通学する生徒数は認めるが、昭和四三年度における二井宿地区の中学生の生徒数は知らない。

第六、証拠関係〈省略〉

理由

第一、本件就、通学処分は行政訴訟の対象となり得べき行政庁の処分である。

被告が原告等および原告以外の保護者等に対し、昭和三七年一月三〇日付の別紙第三の一、二記載例のような書面をもつて本件就、通学処分をなしたことは弁論の全趣旨から明らかであるところ、右別紙第三の一の「就学通知書」と題された書面には、保護者(ただし、学校教育法第二二条第一項にいう「保護者」を指す。以下同じ。なお、既述の用例も同じである。)に対し、その子女が学校教育法第三九条の定めるところによつて学令生徒(ただし、同法同条第二項にいう「学令生徒」を指す。以下同じ。なお、既述の用例も同じである。)に達したので同法施行令第五条第一項ならびに第二項の規定により右子女を昭和三七年四月六日午前一〇時高畠町大字安久津七〇〇番地高畠町立第一中学校(ただし、前示本校舎を指す。)に入学させるよう通知する旨記載されている。

ところで、学校教育法第三九条第一項によれば、学令生徒である子女をもつ保護者は法律上当然にその子女を中学校に就学させる義務を負うのであるが、地方自治法第一四八条第三項、(同法の)別表第四の三の(一)によれば、市町村教育委員会は学校教育法およびこれに基づく政令の定めるところにより、学令簿の編製、入学期日の通知、就学すべき学校の指定、出席の督促その他就学義務に関して必要な事務を行うことと定められ、前示学校教育法施行令第五条第一、二項によれば、市町村の教育委員会は就学予定者(ただし、同令同条第一項にいう「就学予定者」を指す。以下同じ。)についてその保護者に対し翌学年の初めから二月前までにその入学期日の通知および当該市町村の設置する小中学校が二校以上ある場合においては当該就学予定者の就学すべき小中学校の指定を行なわなければならない。そして、弁論の全趣旨によれば、高畠町には本件就、通学処分のなされた当時二校以上の中学校が設置されていたことが明らかである。しかして、右就学通知書による通知により、被告は学令生徒の子女をもつ原告等および原告以外の保護者等に対しその子女の就学すべき中学校として高畠町立第一中学校(すなわち本校舎)を指定し、かつ、その入学期日を通知したものというべきであり、相手方である右原告等保護者は右の学校指定により就学学校との関係において具体的な就学義務を命ぜられたものというべきであるから、右の学校指定処分は命令的行政処分に該当し、いわゆる下命に当るものと解するのが相当である。従つて、具体的な就学義務を課せられた保護者は当該学校指定処分を違法不当と考えるときはこれに対し取消争訟を提起することができるものというべきである。すなわち、学令生徒につきその保護者に対し入学期日の指定と就学学校の指定をなした本件就、通学処分は行政訴訟の対象となるべき行政庁の処分に該当するものというべきである。

第二、原告等が原告以外の保護者等のために追行する訴は不適法である。

原告等は本件訴において、別紙第二原告以外の保護者目録記載の保護者等に対する本件就、通学処分の無効確認または取消を訴求しているが、原告等はこの点について、前示反対期成同盟と被告との間に締結された任意通学を認めない趣旨の協定が被告と二井宿地区居住の全保護者との間で効力を生ずるので、本件就、通学処分が右保護者の一部である原告以外の保護者等との間においても無効であるかまたは取消されるべきであると主張する。

しかしながら、原告等の右訴は本件訴訟の当事者となつていない第三者のために訴訟を追行しているものというべきであるところ、原告以外の保護者等に対する本件就、通学処分は右保護者等に対し各個別的に具体的な子女の就学義務を命じたものと解すべきであるから、右就学義務を課せられた法主体は右の各保護者であつて原告等でないことはいうまでもない。ところで、一般に、訴訟物となつている権利または法律関係の主体や他人の権利または法律関係の主体や他人の権利または法律関係についていわゆる管理権を有する者以外の者であつても、自己の権利義務その他法律上の地位が他人間の法律関係と一定の関係をもつためその他人間の法律関係を訴訟物とする訴において当事者適格を有する者があり、殊に確認訴訟においては訴訟物たる権利または法律関係の主体その他これにつき管理権を有する者のみならず、その確定につき利益を有する者は原告となることができ、これと反対の利害関係に立つ者は被告となる適格があると説かれている。しかして、行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)の例による行政処分の無効確認訴訟の理論上の性質については諸々の見解があり、基本的には抗告訴訟と同質の訴訟類型に属し、抗告訴訟に準ずる性質を有するものと解するのが相当であるが、たといこれを公法上の権利関係に関する訴訟であるとしても、行政処分の無効確認訴訟または取消訴訟の原告適格はその訴訟の対象である行政処分によつて権利または法的利益の侵害を蒙つた者であることを要するのである。してみれば、前叙のように原告以外の保護者等に対して各別に就学義務を課したにすぎない本件就、通学処分によつて原告等は何ら権利または法的利益の侵害を蒙らないものというほかないので、原告等は原告以外の保護者等のために本件就、通学処分の無効確認または取消を訴求し得べき原告適格を有しないものというべきである。なお、権利関係の主体がその意思により第三者に訴訟追行権を与えることを制度上認め得るかどうかは問題であり、法律の規定によつて特に認められた場合にのみこれを肯定するのが妥当であるが、本件において、原告等が原告以外の保護者等から右保護者等のため本件の訴訟追行権を授与されたことを認めるにたりる資料は全く見当らない。

従つて、原告等が原告以外の保護者等に対する本件就、通学処分の無効確認または取消を訴求する部分は、原告等において当事者適格を欠く不適法なものとして訴の却下を免かれないものというほかない。

第三、原告等は本件訴について原告適格を有しないので、原告等の本件訴は不適法である。

一、被告は本案前の主張として、本件就、通学処分が原告等に与える不利益は単なる事実上の不利益に過ぎず、権利または法律上の利益を害するものとはいえないので、原告等の本件訴は不適法であると主張する。ところで、原告等が本件訴について原告適格(すなわち訴の利益)を有するためには前叙のように原告等が本件就、通学処分によつて権利または法的利益を侵害されたものであることが必要である。よつて、この点について判断を進めるに、憲法第二六条第二項、教育基本法第四条第一項、学校教育法第二二条、第三九条によると、すべて国民はその保護する子女に初等、中等の普通教育を受けさせる義務を負うものと定められているが、憲法第二六条第一項、教育基本法第三条第一項によると、すべて国民はその能力に応じてひとしく教育を受ける権利を有すると定められ、教育基本法第三条第二項、学校教育法第二九条、第四〇条によると、国および地方公共団体は右の普通義務教育を実施するための学校を設置しなければならないと定められているので、保護者がその子女に教育を受けさせる義務というのは、子女の教育を受ける権利を積極的に保障するために設けられた公教育制度を法的に表現する一形式であるというべきであり、右の子女を就学させるべき義務は保護者がその子女に教育を受けさせる権利をも包含する趣旨であると解すべきである。しかして、弁論の全趣旨から明らかなように本件就、通学処分はこれに先立つ高畠、二井宿両中学校の新設統合に基づいてなされたものであるが、新設統合の場合における就学学校の指定処分により保護者のその子女に教育を受けさせる権利が侵害されたというためには、就学すべき学校の規模が著しく適正を欠いているとか、通学距離の延長により通学が不可能または著しく困難になるとかの特殊な事情が存する場合でなければならないものと解するのが相当である。

本件についてこれをみるのに、原告等が高畠町大字二井宿上駄子町以西を除く高畠町大字二井宿居住の昭和三七年度において学令生徒に達する子女等の保護者であることは弁論の全趣旨から明らかであるので、原告等はいずれもその子女に中等の普通教育を受けさせる権利を有するものというべきであるところ、原告等は本訴の請求原因第三項において、地理的事情、通学距離の延長による生徒保護者の労力的、経済的負担の過重、就学学校の過大な規模、学校統合の意図された趣旨等の点からみて本件就、通学処分が違法であると主張しているが、本件就、通学処分に基づく前叙のような特殊事情の生起により原告等の権利が侵害されたものといえるかどうかの問題は、単に当事者双方の事実上および法律上の主張のみを検討しただけで判断できる事柄ではないので、その実体に立入つてこれを検討しなければならないことになる。しかして、小規模学校の規模の適正化と町村合併によつて誕生した新町の一体性の確保を目的とする学校統合処分には、一般に、(イ)教員組織の強化および施設、設備の拡充による教育効果の向上、教育内容の充実、(ロ)教員および生徒の管理あるいは施設、設備の利用の面における効率性が学校規模の適正化にともなつて増大し、それに応じて教育能率が向上すること、(ハ)学校経営の合理化が図られ、営繕費、経常費等学校の維持整備に要する経費が一層有効に、かつ、集中的に使用できること、(ニ)教職員配置の合理化による教職員給与費の合理化、(ホ)新町としての一体的な意識の確立、等が期待されるというのであるから、本件就、通学処分により原告等の権利が侵害されたかどうかを判断するに当つては、右のような学校統合の目的と効果等を念頭に置いたうえ、(イ)統合によつて新設された中学校の規模が教員組織、施設設備、労力等の諸条件からみて適正であるかどうかの点、および、(ロ)地理的事情、交通事情、生徒の身体的理由、家庭の事情等の諸条件からみて通学距離の延長により原告等の子女の通学が不可能になるような事情にあるかどうか、あるいは、通学が不可能でないとしても原告等とその子女に著しく過重な負担をもたらすような事情にあるかどうかの点、等を検討することが必要であると考える。

二、そこで、統合中学校の規模が適正であるかどうかの点について検討を進める。

(一)  まず、教員組織と学校規模との関係について考えるのに、弁論の全趣旨によれば、昭和二九年一〇月一日山形県東置賜郡の旧高畠町、旧二井宿村、旧屋代村、旧亀岡村、旧和田村が合併して社郷町が新設され、翌三〇年二月一日これに同郡の旧糠野目村が編入されたうえ名称が変更されて高畠町が新設されたこと、昭和三三年五月二〇日被告が高畠、二井宿両中学校を同年八月三一日限り廃止しその生徒をもつて翌九月一日付で高畠第一中学校を設置する旨の中学校統合処分(すなわち前示本件中学校統合処分)をなしたこと、右中学校統合処分に反対する二井宿地区の住民多数が集つて中学校統合反対期成同盟を結成し、高畠町関係官庁との間に中学校統合問題につき善後策を講じていたが、昭和三四年一二月六日高畠町関係官庁(すなわち高畠町、町議会、被告)と反対期成同盟(代表者佐藤庄三郎)との間に、(1)反対期成同盟は高畠第一中学校の統合を認める、(2)高畠町は高畠第一中学校二井宿校舎(すなわち前示二井宿校舎)の存置を認める、(3)高畠第一中学校本校舎に通学する地域はさしあたり上駄子町以西とし、その間任意通学等はなさしめないこと、ただし、さしあたりとは高畠町、反対期成同盟および調停委員(前示井上秀雄、柿崎美夫の両名を指す。)において平和裡に解決する時期までをいう、という趣旨の協定が成立した(甲第二号証)ので、以来右協定に基づき高畠地区と二井宿地区においては中学校として本校舎と二井宿校舎が併置されてきたことおよび右協定にも拘らず二井宿地区居住の学令生徒をもつ保護者のうち反対期成同盟に加入しなかつた者や加入した後脱退した者等はその子女を本校舎へ通学させてきたので、二井宿地区における学令生徒は本校舎へ通学する者と二井宿校舎へ通学する者との二者に分れていること、以上の事実を認めることができる。

ところで、証人大高典孝の証言によれば、昭和三七年度における本校舎の在籍生徒数は九〇三名で、そのうち二井宿地区から通学している生徒は一年生二七名、二年生三七名、三年生三七名計一〇一名であり、二井宿校舎の在籍生徒数は一年生三九名、二年生三〇名、三年生三四名、計一〇三名であること、本校舎の教職員数は総員三三名で、その内訳は教諭二九名、保健教諭一名、事務官一名、雇傭人二名であり、二井宿校舎の教職員数は総員七名で、その内訳は教諭六名、給仕一名であること、音楽、図工の二課目につき本校舎から二井宿校舎へ教科補助のため週一回教諭一名が派遣されていること、本校舎の学級数は一九学級であるが二井宿校舎へ通学している生徒が全部本校舎へ通学することになると二一学級になる予定であること、二井宿校舎の学級数は三学級であるが二井宿地区の全生徒が二井宿校舎へ通学することになると六学級になる予定であること、以上の事実を認めることができる。そして、成立に争のない甲第三四号証によれば、昭和三二年度における各都道府県の教員配当基準のうち最も頻度の高い数字をとつてできる当時のわが国の教員配当基準は中学校の場合第四表のとおりであること、中学校について学校規模ごとの一教科一専任教員とした場合の教員配当(ただし、一人の授業時数をおおむね週当り二四時間とする。)と現実の教員配当(全国最多基準)を比較すると第五表のとおりであること、右第五表に示された数値に照らすと、教員組織からみた学校規模は一二ないし一八学級程度が望ましいと考えられるが、地域社会の各種の条件を考慮するとある程度の幅が認められること、二五学級以上の大規模の学校について校長、教員、生徒が一つの社会集団としての有機的教育活動を営むことがむずかしく、教育の徹底を期することが困難であること、以上の事実を認めることができる。以上の認定事実によれば、仮りに昭和三七年度において二井宿校舎の在籍生徒と教職員の全部を本校舎へ転校または転勤させることにすると、本校舎の在籍生徒数は一、〇〇六名、学級数は二一学級、教諭三五名、保健教諭一名となつて、前示第四、第五表に示された基準を相当上回る教員配当となり、右の生徒数、学級数の規模は右の教員配当基準と対比してみると教育効果を阻害するような過大な程度に至るものとは考えられず、むしろ、教員配置の点ではおおむね適正な規模であると解するのが相当である。

第四表 教員配当基準

学級数

一二

一五

一八

二一

二四

二七

配当教員数

五人

一三

一七

二一

二五

二八

三三

三八

第五表 中学校の規模別教員配当数

学級数

一二

一八

二四

一教科一専任教員とした場合の教員配当

一〇人

一二人

一五人

一九人

二六人

三三人

同右一学級当り教員数

三、三人

二人

一、六人

一、五人

一、四人

一、三人

現実の教員配当

一三

一七

二五

三三

同右一学級当り教員数

一、六

一、五

一、四

一、四

一、三

一、三

(二)  次に、施設、設備と学校規模との関係についてみるのに、右(一)のような生徒数、学級数の規模に達する統合中学校における教育を効果的に実施するためにはそれに相応した施設、設備の充実が要請される。しかして、成立に争のない乙第二号証、証人大高典孝、同伊藤政一の各証言と検証の結果によると、本校舎の校舎は八期工事で完成する予定で昭和三三年九月新築工事に着工され、昭和三八年二月九日当時にはすでに第六期工事が完了していたが、二階建壁式鉄筋コンクリート二棟の構造で普通教室一九教室、準備室五教室、特別教室(家庭科室、器具室、音楽室、理科室、図書室、図書整理室、礼法室、被服室、被服準備室)九教室のほか静養室、購売部、生徒会室、銀行室、放送室等があり、水道設備、放送設備、映写設備等が完備しているほか練習用ピアノ、オルガン四台、ミシン一五台、工作機械等が備えられ、これにアーチ型鉄骨組三六九坪の体育館が付設されて鉄棒、野球用バツクネツトその他の体育設備が整えられ、校舎敷地は一五、〇〇〇坪におよび、既設建物の坪数は体育館を除いて一、〇四八坪におよんでいること、昭和三九年度には全工事が完成される予定であるが、それによると既設校舎の一部に接続して更に物理教室、理科室、工作室、準備室等のほか廊下八坪が増設され、建坪で二三三坪の増加となり、完成される運動場は一〇、〇〇〇坪におよび、一周三〇〇メートルのトラツク、野球場、テニスコート二面、バレーコート、バトミントンコート等が完備されること、以上の事実を認めることができ、右認定に反する証人伊藤の証言の一部は前顕各証拠と対比してたやすく措信できない。そして前顕甲第三四号証によれば、昭和三一年四月の学校施設改訂基準案の解説による学校規模別校舎基準面積(生徒一人当り、単位坪)は中学校の場合第六表のようになること、を認めることができる。右の認定事実によると、昭和三七年度における本校舎の生徒一人当り坪数は、在籍生徒数(二井宿校舎通学者を含めて)一、〇〇六名、学級数二一学級として既設校舎と体育館の総建坪が一、四一七坪であるので、約一・四一坪となり、更に全工事が完成すれば総建坪が一、六五〇坪に増加するので生徒一人当りの所要坪数は在籍生徒数をそのままとして約一・六四坪となり、第六表の基準に照らしてみても本校舎の構造的規模があながち適正でないということはできない。また、本校舎の施設、設備はかなりの程度に充実していて近代的教育を実施するのに他と比較して何ら遜色がないものといえる。因に、検証の結果によれば、二井宿校舎は昭和二三年頃建築された木造二階建一棟の構造で普通教室三教室、特別教室(家庭科室、図書室、集会室)三教室、衛生室、生徒会室等の教室とミシン六台、テレビ一台、オルガン二台、体操用具等の設備のほか二井宿小学校と共用の体操場と音楽室を有していること、を認めることができるが、右二井宿校舎の施設、設備は本校舎の施設、設備と比較してかなりの程度劣ることを否定できない。

第六表 学校規模別校舎基準面積

学級数

一二

一五

一八

二一

二四

生徒数

九〇人

一五〇

三〇〇

四五〇

六〇〇

七五〇

九〇〇

一、〇五〇

一、二〇〇

生徒一人当り所要坪数

(適正)

三、一九坪

二、五五

二、〇五

一、八九

一、八〇

一、七五

一、七一

一、六七

一、六四

右同(最低)

二、二三坪

一、八〇

一、四三

一、三二

一、二六

一、二三

一、二〇

一、一七

一、一五

(三)  更に、学力と学校規模との関係についてみるのに、教育の効果を示す一つの指標として学力水準の問題が考えられるところ、学力は一般にその者の知能や努力、教員組織、学校設備、家庭環境、地域の文化的社会的状況等の総合されたものと考えられるが、前顕甲第三四号証に照らすと、おおむね学校規模が大きいところほど成績が良くなつていることがわかり、証人高梨常次郎の証言によつても、同証人の三年生の子女は二井宿校舎へ通学していた二年生の時よりもかなり成績が向上したことが認められる。なお、証人富沢篤志の証言によれば、大規模の学校になればなるほど教員と施設が良くなるがこれは問題でなく、小規模の学校ほど人格の育成、学習効果がより多く期待されるし、昭和三七年度における高畠町所在の中学校六校(六校と同人は証言する)の数学学力テストの結果によると二井宿校舎は二、三位の成績であるのに本校舎は五、六位の成績に止まり、総合的に見て本校舎が二井宿校舎よりも劣る、というのであるが、同証人の証言は前顕甲第三四号証、証人高梨の証言等と対比してたやすく措信することができない。

以上の次第であるから、統合中学校の規模の点について検討すると、統合によつて新たに設置された本校舎は昭和三七年度においては適正な規模であるというべく、原告等の子女に対する教育効果は統合によつて何ら阻害されないというほかない。

三、そこで、次に、本件就、通学処分が地理的事情、交通事情、生徒の身体的理由、家庭の事情等からみて原告等とその子女に対し著しく過重な負担を課しているかどうかの点について検討を進めるに、学校の統合は一部の生徒に対して必然的に通学距離の延長を伴うものであり、そのために一部の生徒の学習条件を著しく不利にする場合があるので、統合の際の学校の位置の決定や学区の編成等にあたつては妥当な通学距離の限度を前提としなければならないが、通学距離の限度を定めるにあたつては通学を原因とする生徒の疲労が学習に悪影響をおよぼさない程度のものであることと通学に要する時間が生徒の生活時間構成の均衡を失わせない程度のものであることを特に考慮する必要がある。

(一)  まず、地理的事情の点についてみるに、いずれも成立に争のない甲第一三号証、乙第一号証と検証の結果によれば次の事実を認めることができる。すなわち、二井宿地区は高畠町の北東部に位置してその東方で宮城県に接し、奥羽山脈の山系中に所在していて、山形県東置賜郡赤湯町から高畠町、二井宿峠を経て宮城県白石市へ至る東西に通ずる県道沿いと、二井宿地区上宿部落所在の二井宿郵便局前から北方へ延びる町道沿いとに帯状に展開する平坦部を除いてその殆んど大部分が山地であり、右県道は冬期を除いて山形県上山市と宮城県白石市とを結ぶバス路線となつているが右二井宿郵便局前の東方からかなりの上り勾配になつており、右町道も右郵便局前から北上するに従つて徐々に上り勾配になつている。別紙第四、二井宿地区およびその周辺の見取図に表示されたように(ただし、距離の表示の部分を除く。)、右県道に沿つて西から東へ上駄子町、弁天前、下宿、上宿の各部落が点在し、右町道に沿つて南から北へ田沢、筋、中(ただし、畑中と宮下の総称で右見取図に畑中と表示された場所付近を指す。)、入(ただし、上ノ台、中里、山崎の総称である。)の各部落が点在するが、入部落山崎から町道が二つに岐れ、約四キロメートル北上した終点に二重坂部落があり、約三キロメートル北西方の終点に青井流部落がある。右県道および町道はいずれも舖装されない土砂道であるが、二井宿郵便局前付近における県道の幅員は約五メートルで、町道の幅員は約三・五メートルであり、筋部落の中央部付近、中部落畑中入口部付近、入部落山崎の三叉路付近における町道の幅員はそれぞれ約四・五メートル、約三メートル、約三・五メートルであつて、右三叉路付近の二重坂部落へ通ずる町道と青井流部落へ通ずる町道の幅員はそれぞれ約三メートルである。入部落山崎から青井流部落へ至る町道は所々に急坂があり、数ケ所に狭い土橋があつて車馬の通行や交換が容易でなく、青井流部落へ近ずくに従つて幅員が一定せず、路面の起伏がはげしいうえ山脚が極めて近くまで迫つている。二井宿地区はわが国でも比較的積雪の多い地域であり、比較的積雪の少なかつた昭和三八年二月九日当時でさえブルドーザーで除雪された町道の両側は壁状に切り立つていて、その最も高い部分ではその壁が約二メートルの高さにまでおよんでおり、入部落山崎付近における人跡のない田、畑上の積雪量は目測で約二メートルないし二・五メートルと推認された。二井宿校舎は別紙第四の見取図に表示されたように上宿部落に所在し、二井宿郵便局前の三叉路から町道を北方へ約一五〇メートル進んだ地点の東方高台にあつて、町道から学校の校庭へ至るまでの間長さ約三〇メートルの上り勾配の通路が設けてある。高畠町大字安久津七〇〇番地所在の本校舎は右見取図に表示されたような位置にあるが、右は国鉄奥羽本線糠野目駅から二井宿駅へ通ずる山形交通株式会社高畠線(電車)の八幡宮前駅から町道を南方へ約七〇〇メートル進んだ地点にある。二井宿郵便局前から二井宿駅までの距離は約五〇〇メートルであり、右郵便局前から県道を経由して本校舎へ至る距離は約四、二〇〇メートルである。そして、各部落から本校舎へ至る距離はそれぞれ上駄子町から約二、五〇〇メートル、弁天前から約四、〇〇〇メートル、下宿から約四、一〇〇メートル、上宿から約四、二〇〇メートル、田沢から約五、〇〇〇メートル、筋から約六、〇〇〇メートル、中から約六、三〇〇メートル、入から約六、八〇〇メートル、二重坂から約一〇、八〇〇メートル、青井流から約九、八〇〇メートルである。以上の事実を認めることができ、距離の数値について右認定と若干異なる甲第三二号証の記載部分および証人大高の証言部分は前顕各証拠と対比してたやすく措信できない。また、弁論の全趣旨によれば、二井宿地区における冬期の積雪期間は通常一二月初旬頃から翌年三月下旬頃までである、と認めることができる。

右の認定事実によれば、二井宿駅と八幡宮前駅との間には電車が運行しているというのであるが、二井宿地区から本校舎へ通学するためには上駄子町部落において約六五〇メートル、弁天前部落において約三、六五〇メートル、下宿部落において約三、八五〇メートル、上宿部落において約四、二〇〇メートルほど通学距離が延長され、田沢、筋、中、入、二重坂および青井流の各部落においてはいずれも約四、三五〇メートルほど通学距離が延長されることになり、しかも、筋、中、入、二重坂および青井流の各部落から本校舎までの距離はいずれも六キロメートル以上におよんでいることがわかる。

(二)  次に、交通事情の点についてみるのに、証人大高、同伊藤の各証言と検証の結果によれば次の事実を認めることができる。すなわち、昭和三八年二月九日午前中に実験された歩行ではブルドーザーで除雪された雪面の路上を通常の成人(老若男女を含む。)が普通の速度で歩行に要した時間は、前示高畠線の終着駅である二井宿駅を起点として、上宿部落二井宿郵便局前まで八分、二井宿校舎入口坂下まで九・五分、田沢部落入口まで一五分、筋部落入口まで二二分、同部落中央部まで二七分、中部落入口まで二九分、同部落畑中坂道まで三三・五分、入部落入口まで四七分、同部落山崎の分岐点まで六八分である。高畠線の二井宿駅、八幡宮前駅間の電車の所要時間は約九分である。二井宿地区の各部落から本校舎または二井宿校舎へ通学している昭和三七年度の一年生(すなわち原告等の学令生徒およびその同期生である。)の生徒数は第七表のとおりであり、昭和三七年度において二井宿地区から本校舎または二井宿校舎へ通学している生徒数は第八表のとおりである。被告は身体虚弱生徒および本校舎までの通学距離が六キロメートル以上におよぶ生徒に対し通学用の自転車を無料で貸与し、五〇〇円ないし一〇〇〇円もかかる修理の場合にはその費用を負担している。昭和三七年度において二井宿地区の生徒で被告から自転車の貸与を受けているのは二六名であるが、右の生徒は積雪期間を除き自転車で自宅から二井宿駅まで通つている。被告は二井宿地区から本校舎へ通学する生徒のため高畠線二井宿駅、八幡宮前駅間の通学定期券を購入してこれを使用させており、また本校舎通学生徒の保護者等と協力して山形交通株式会社と交渉し、昭和三八年二月一日から通学用のため二井宿駅発午前八時二〇分の臨時電車の運行を実現させたほか八幡宮前駅待合室の拡張整備を実現させた。二井宿地区の生徒は右の臨時電車が冬期間を除いて運休されることになると二井宿駅発午前七時四五分の定期電車で通学しなければならないが、本校舎では通学電車の運行時刻を考慮して始業時刻を決定しており、帰校時においては八幡宮前駅発午後三時一五分の電車で帰る生徒が多く、放課後の補習授業やクラブ活動に参加する生徒はそれより一時間後の電車で帰る。昭和三八年の積雪期に積雪多量のため高畠線が一時不通になり二井宿地区から本校舎へ通学する生徒が全員始業時刻に間に合わなかつたことが一度あつた。青井流部落から二井宿校舎へ通学している生徒は冬期間積雪多量のため自宅から通学できないので毎年一二月から翌年三月まで二井宿地区の他の部落に住む縁故者の許へ下宿して通学しているが、被告は右の生徒に対し一人一ケ月当り三、〇〇〇円の割合による金員を下宿代に充てるものとして贈与している。二井宿地区から本校舎へ通学する生徒が右のような格別の恩恵を受けていることについて本校舎の生徒間で感情的対立が生じたり等することは見受けられない。本校舎の在籍生徒数は九〇三名であるが、本校舎における年間出席率は二井宿地区の長期病欠生徒三名を入れて計算しても九六パーセントである。以上の事実を認めることができる。

第七表 二井宿地区の各部落からの通学者と通学距離

部落名

上駄子町

弁天前

下宿

上宿

田沢

二重坂

青井流

本校舎通学者

三人

二七

二井宿校舎通学者

三人

三九

本校舎までの距離

二、五〇〇米

四、〇〇〇

四、一〇〇

四、二〇〇

五、〇〇〇

六、〇〇〇

六、三〇〇

六、八〇〇

一〇、八〇〇

九、八〇〇

第八表 二井宿地区からの学年別通学者

学年

校舎別

一年生

二年生

三年生

本校舎通学者

二七人

三七

三七

一〇一

二井宿校舎通学者

三九人

三〇

三四

一〇三

また、証人高梨の証言によれば、二井宿地区上宿部落の二井宿郵便局前から入部落山崎を経由して二重坂および青井流へ通ずる町道にはバスが運行していないこと、二井宿地区には二井宿校舎に隣接して所在する二井宿小学校と青井流部落に所在する同小学校青井流分校があり、二井宿地区における学令児童(ただし、学校教育法第二三条、第二二条にいう「学令児童」を指す。以下同じ。)は青井流部落の学令児童を除きすべて二井宿小学校へ通学していること、中学校の生徒は冬期間でも二井宿校舎から高畠線二井宿駅までを約一〇分で歩行できること、二井宿地区中部落の生徒の一事例によれば本校舎へ通学する場合通学電車の関係で二井宿校舎へ通学する場合よりも朝約一〇分ないし二〇分早く家を出なければならないが、帰宅時刻は二井宿校舎へ通学する場合とそれほど異らず、従前どおり帰宅後に家畜の飼育や家事の手伝等をしているばかりでなく、むしろ二井宿校舎へ通学するよりも喜んで本校舎へ通学し、勉強時間の不足や格別の疲労を訴えたこともなく、大勢の生徒や教師の中で教育を受けるようになつてから社会的行動や学習成績の上でかなり向上してきたこと、本校舎へ通学する生徒と二井宿校舎へ通学する生徒との間で昭和三七年四月頃にやゝ感情的対立が見受けられたが、昭和三八年二月頃にはその対立も解消したこと、二井宿地区における小中学校の児童生徒の通学条件は積雪期を除けば他の町村の場合と殆ど異らないこと、冬期格別に積雪がある時は各部落が連絡し合つて通路の除雪をなし通学の便を計つていること、二井宿地区では毎年冬期中学校から吹雪のため学校の指示があるまで登校を見合わせるよう連絡を受けることが時々あること、以上の事実を認めることができる。

そして、前顕甲第三四号証によれば、児童生徒の疲労度の測定方法として視覚系の感度を通じて大脳の興奮水準の動きを知るフリツカー検査法を採用し、平坦地を通学する児童および生徒を通学距離別に、一キロメートル以内の者、一キロメートル以上四キロメートル以内の者、四キロメートル以上の者の三群に分け、それぞれについて調査したところによると、小学校については、一キロメートル以内および一~四キロメートルの二群は登校時からフリツカー値は一度低下するが一時間目休憩時から午前の授業終了時に向い回復して午後再び低下し、四キロメートル以上の群はこの回復が明らかでなく、日間を通じて低下の一途をたどつていることがみられ、中学校については、小学校にみられるような三群の間の差は認め難く、通学距離による影響はいずれもさほど異らないものとみられること、右の結果に関する限り中学校については六キロメートル以内の程度では通学距離が学習におよぼす影響は少ないのではないかと考えられること、そして、平坦地を徒歩で通学する場合疲労度および生活時間構成を考慮して通学距離の限界を求めれば中学校では六キロメートルが一応の限度であると考えられ、それがおおむね妥当な距離であると認めること、以上の事実を認められることができる。

(三)  以上の認定事実と前叙のような地理的事情とを総合して判断するに、まず、別紙第一原告目録に記載されている原告等の住所の表示だけでは原告等が二井宿地区のどの部落に居住しているのか判然としないが、前示第七表の記載および弁論の全趣旨に照らすと原告等はそれぞれ弁天前部落、下宿部落、上宿部落、田沢部落、筋部落、中部落、入部落、青井流部落のいずれかの部落に居住しているものと推認される。ところで、原告等の子女は現に二井宿校舎まで通学しているのであり、しかも青井流部落居住の生徒を除いては小学生のとき二井宿校舎に隣接する二井宿小学校へ通学していたのであるから、本件中学校統合処分によつて本校舎へ通学することになれば、二井宿校舎から本校舎までの通学距離が延長されることになるので、右通学距離の延長が原告等の子女の学習条件を著しく不利にするかどうかが問題である。しかして、二井宿校舎から本校舎までの通学距離は約四、三五〇メートルであるが、右は決して少なくない距離であり、しかも、青井流部落の生徒はいうまでもなく、入、中、筋、田沢の各部落の生徒はすべて山間部の土砂道を通学しなければならないうえ約四ケ月の積雪期間を通学しなければならないのであるから右通学距離の延長は生徒の通学に重大な問題を提起する。筋、中、入の各部落は本校舎から約六、〇〇〇メートルないし六、八〇〇メートル距つた地点にあり、青井流部落は本校舎から約九、八〇〇メートルの地点にある。そして、冬期の積雪期間にはブルドーザーで除雪された路面を通常の成人が歩行するのに高畠線二井宿駅から筋、中、入の各部落の入口までそれぞれ二二分、二九分、四七分かかり、入部落山崎の分岐点までは六八分かかるというのであり、生徒の疲労度および生活時間構成の点から考慮された通学距離の限度は平坦地を徒歩で通学する場合六キロメートルというのである。しかしながら、被告は二井宿地区から本校舎へ通学する生徒のため、通学距離が六キロメートル以上におよぶ生徒全員に通学用自転車を無料で貸与し、電車通学する生徒全員に二井宿駅、八幡宮前駅間の通学定期券を買い与えているばかりでなく、青井流部落の生徒が冬期間二井宿地区の他の部落へ下宿するのに一人一ケ月当り三、〇〇〇円の割合による補助金を出しているのであり、右のような被告の経済的援助は原告等の子女が本校舎へ通学する場合には原告等の子女にも平等に与えられるものと容易に推認できるし、弁論の全趣旨によれば本校舎通学生徒に対する右のような経済的援助は将来も恒久的に継続されるものと認めることができる。また、二井宿地区から本校舎へ通学する生徒は、上駄子町部落の場合を除いて各部落の自宅から二井宿駅まで自転車または徒歩で通い、二井宿駅から八幡宮前駅まで電車に乗り、八幡宮前駅から本校舎まで徒歩で通学するという経路をたどるものと推認され、上駄子町部落では通学距離が約六五〇メートル延長されるにすぎないので現に本校舎へ通学している生徒が多いものと推認されるのであるが、前示第八表のとおり昭和三七年度において二井宿地区から本校舎へ通学する生徒が全学年で一〇一名、同じく二井宿校舎へ通学する生徒が全学年で一〇三名であり、しかも原告等の子女は小学生のとき青井流部落の場合を除いて二井宿校舎に隣接する二井宿小学校まで通学していたのである。従つて、右のような事情を考慮すると二井宿地区の地理的事情や通学距離の延長にも拘わらず、交通手段(すなわち自転車)と交通機関(すなわち高畠線電車)の利用によつて二井宿地区から本校舎へ通学する生徒の疲労度はかなりの程度軽減されているものと認められ、しかも本校舎通学生徒の保護者は右自転車や通学定期券について自転車の軽度の修理費を除き何ら費用を負担しなくてもよいというのであるから、二井宿地区の各部落から本校舎へ通学することになるとしてもその通学によつて生徒の学習条件が著しく不利になるとは考えられないし、右交通手段および交通機関の利用によつて生徒の保護者の経済的負担が格別に増加するとは考えられない。右のことは青井流部落の生徒、保護者についても妥当するのであつて、青井流部落は本校舎から約九、八〇〇メートルの遠隔地にあり、しかも、入部落山崎から青井流部落までの町道は平坦な道だけではないのであるが、冬期間は下宿料の補助を受けているのであるし、自転車と電車を利用するのであれば約四、三五〇メートルの通学距離の延長もさほど学習上悪影響をおよぼすものとは考えられないのである。また、青井流部落の生徒については本校舎へ通学している生徒の事例がないので次のことがそのまゝあてはまらないかも知れないが、本校舎における年間出席率は三名の長期病欠生徒を入れて計算しても九六パーセントというのであるから、現に二井宿地区から本校舎へ通学している生徒の出席率が高畠地区から通学している生徒の出席率と比較して格別によくないとは考えられないので、原告等の子女が本校舎へ通学することになるとしてもそのことから直ちに二井宿校舎へ通学する場合と比較して出席率が低下するとは考えられない。

(四)  次に、二井宿地区から本校舎へ通学する生徒の生活時間構成の点についてであるが、本校舎における始業時刻および終業時刻は高畠線二井宿駅、八幡宮前駅間の電車時刻と照し合わせて決められており、二井宿地区の生徒は上駄子町部落の生徒を除いて高畠線の電車時刻に応じて自宅を出発しまたは自宅へ帰るのであるが、中部落の生徒の一事例に照らしても出発時間が二井宿校舎へ通学する場合と比較して約一〇分ないし二〇分早くなる程度であつて帰宅時間は異らないというのであり、課外活動をする場合には帰宅時間が普通より約一時間遅れるというものの、被告は関係者と協力して登校用通学電車の運行を実現させたり等して通学の便を図つている。ところで、生徒の生活内容に応じ生活時間を睡眠時間、学習時間(在校時)、半拘束時間(食事、身仕度、通学)、自由時間の四群に大別して生徒の時間構成を検討してみると、一般に通学距離が長いほど通学に要する時間が自習時間及び自由時間を圧縮するのであるが、通学時間の延長が生徒の発育上重要な意味をもつ自由時間を極度に圧縮するようでは教育上考慮を要することになる。そこで、二井宿地区の生徒が二井宿校舎へ通学する場合どの程度の自由時間を持つているかおよび通学距離の延長によりどの程度の通学時間の延長を余儀なくされるかは必ずしも判然としないが、以上にみてきたような事情を総合すると、延長される通学時間は自宅から二井宿駅まで自転車で通う生徒も徒歩で通う生徒もともに片道おおよそ二〇分ないし三〇分であると推測することができる。けだし、上宿部落の生徒を例にとるとそれは二井宿駅までの徒歩時間、電車の待合時間と乗車時間(約九分)および八幡宮前駅から本校舎までの徒歩時間の合計時間であるからである。しかして、生徒の健全な発達にとつてどの程度の自由時間が必要であるかは明らかでないけれども、往復で四〇分ないし六〇分の通学時間の延長が原告等の子女の自由時間を著しく圧縮するものと考えることはできない。

(五)  また、生徒の身体的事情や家庭の事情の点について検討するに、前叙のような生徒の通学による疲労の程度、被告の保護者に対する経済的援助、中部落から本校舎へ通学する生徒の一事例等から判断すると、原告等の子女を本校舎へ通学させることが右のいずれの点についても原告等とその子女を著しく不利な条件に陥し入れることにはならないものと考える。

(六)  なお、証人富沢の証言によれば、同証人は本件中学校統合処分が不適当である理由として、地勢的にみると気温が下駄子町を境に一ないし二度の差を生ずるので、生徒が風邪をひき易くなること、通学電車の一定した時刻に拘束されて通学生徒の情緒が不安定になり、学習効果に悪影響をおよぼすこと、通学距離が延長され、それによつて保護者の経済的負担が増加すること、二井宿地区の保護者、生徒にだけ経済的援助を与えることは教育の機会均等、民主教育の点から望ましくないことおよび教育効果の向上が期待されないことを指摘するのであるが、右のような見解は前叙のような認定事実および判断に照らしても妥当な見解であるとはいえない。また、いずれも成立に争のない甲第九、一四、一五、一六、二四および二九号証によれば、本件中学校統合処分は二井宿地区の保護者に対し過重な経済的負担を課すものであり、生徒に対しては通学距離の延長により疲労度を増加させ、学習効果を低下させるばかりでなく、殊に青井流部落の生徒にとつては二井宿校舎までの通学に要する時間が徒歩で約二時間も要するので、夏期でも二井宿校舎までの通学が限度であつて本校舎への通学は全く不可能である、というのであり、成立に争のない甲第二七号証によつても、文部省初等中等教育局地方課長が、同省管理局教育施設部助成課長であつた頃に現地調査を実施した結果、青井流部落から本校舎までの通学距離が中学生にとつて多少遠過ぎ、冬期間徒歩で通学するのは不可能である、と認めている。しかし、前叙のように青井流部落の場合を除くと二井宿地区の保護者、生徒が本校舎通学により格別の経済的負担や肉体的精神的負担を蒙るものとは考えられないし、青井流部落の場合も夏期は自転車を利用し冬期は下宿を利用することにすれば通学から生ずる疲労度を相当に軽減できるので通学が不可能であるとは認め難いし、そのことにより保護者の経済的負担が格別に増加するものとは考えられない。

以上の次第であるから、本件就、通学処分は二井宿地区における地理的事情、交通事情、生徒の身体的理由、家庭の事情等の点からみても原告等とその子女に対し著しく過重な負担を課しているものということはできない。

四、そうだとすれば、本件就、通学処分によつて原告等はその保護する子女に中等普通教育を受けさせる義務、言い換えればその子女に右教育を受けさせる権利を何ら侵害されていないものというほかない。従つて、原告等は本件訴につき法律上の利益を有しないので原告適格を欠くものといわなければならない。

第四、よつて、原告等の本件各訴はいずれも不適法であるので、爾余の争点について判断するまでもなく、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項但書前段を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 上田次郎 石垣光雄 加藤一隆)

(別紙第一、第二目録省略)

第三の一

就学通知書

高畠町大字二井宿一、九六三番地

安藤文明

昭和二四年七月一五日生

右の者学校教育法第三九条の定めるところにより学令生徒に達したので学校教育法施行令第五条第一項並に第二項の規定により昭和三七年四月六日午前一〇時高畠町大字安久津七〇〇番地高畠町立第一中学校に入学せしめられるよう通知致します。

昭和三七年一月三〇日

高畠町教育委員会

保護者 安藤文治郎 殿

第三の二

高畠町大字二井宿一、九六三番地

安藤文明

昭和二四年七月一五日生

右の者別紙高畠町立第一中学校に入学するよう通知いたしましたが、止むを得ざる事情により二井宿校舎に通学を希望せるゝ場合は、その旨二月末日限り、左の書類に必要事項記入の上学校長に提出して下さい。

昭和三七年一月三〇日

高畠町教育委員会

保護者 安藤文治郎 殿

………切取線………

届書

氏名

昭和 年 月 日生

右の者二井宿校舎に通学致させたく存じますのでお届けいたします。

昭和三七年二月 日

右保護者

氏名 印

高畠町立第一中学校長

大越仙二 殿

第四 二井宿地区およびその周辺の見取図〈省略〉

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